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勝手に読書伝説Vol.12.5 特集 ゲストインタビュー

勝手に読書伝説Vol.12.5 特集 ゲストインタビュー

プロフィール
藤田和日郎(ふじた・かずひろ)
1964年生まれ。北海道出身。1988年、「連絡船奇譚」で第22回新人コミック大賞に入選し、デビュー。以後、小学館『週刊少年サンデー』を中心に作品を発表。妖怪や自動人形、怪人など、人ならざる存在を絡めた壮大な物語で読者を魅了し続ける。

私のイチオシ!コミック&ブック・レビュー

図鑑より物語が好きな子どもでした
――本にまつわるもっとも古い思い出を聞かせてください。
藤田 それは童話ですね。これは親に感謝しなければいけないんですが、僕は子どもの頃から物語がすごく好きで、寝るときはいつも読み聞かせをしてもらっていました。家に小学館の童話全集があって、絵もお話も覚えてしまうくらい何度も聞きたがったみたいです。特に『マッチ売りの少女』(アンデルセン)が好きでした。悲しい話で嫌なはずなのに、なぜか繰り返し聞きたくなって。子ども心に何かひっかかるものがあったんでしょうね。
――そうした素地があって、童話をモチーフにした『月光条例』が生まれたのですね。
藤田 そうですね。『月光条例』は僕自身が童心に返って、お話の中で何が一番重要だったのかっていうのを考えながらつくった作品でした。父が学校の教師をしていて、僕は小学校に上がる前から学校の図書館に出入りさせてもらっていたんですが、当時から図鑑よりも物語が好きだったんです。そのわりに、小学校で読書感想文を書かされたときは嫌で仕方なかったんですけど(笑)。物語を読んで感想をまとめろといわれても、何を書けばいいのかさっぱりわからなくて。だいたい読書感想文の課題図書は、どうしてあんなに問題意識の高い本ばかり選ぶんでしょうね。教訓めいたものよりワクワクする本が読みたいですよね。
――ちなみに課題図書で印象に残っている本はありますか?
藤田 『かたあしだちょうのエルフ』(おのきがく)という童話は印象に残っています。あれもまた悲しい話で…。僕は自分のマンガでも描いていますけど、男は何かを守るために戦って、最期は相打ちで死んでいくのが一番かっこいいと思うんです。『かたあしだちょうのエルフ』は、仲間を助けるために自分が犠牲になっていく話なんですね。その自己犠牲に心が反応したんだと思います。『マッチ売りの少女』もそうですが、「こういう可哀想な子を助けなくてどうするんだ!」と。どうしてこうなんだろう、こうあってほしいのにって思いながら読んでいましたね。……ああ、そういうことを感想文で書けばよかったんだ(笑)。
――いまなら何枚でも書けそうですね(笑)。初めてお小遣いで買った本は覚えていますか?
藤田 マンガは恐らく『ルパン三世』(モンキー・パンチ)だと思います。親が厳しかったので、マンガは特に自分のお小遣いで買うしかなかったんです。小説ではっきり覚えているのは、エドガー・ライス・バローズの文庫で『地底世界ペルシダー』。小学校高学年だったと思いますが、思春期になると児童書だけでは飽き足らず、SFや推理小説を読むようになりました。エドガー・ライス・バローズは『ターザン』を書いた人なんですが、『地底世界ペルシダー』はそれまで読んできた本よりもボリュームがあって、読んでも読んでもまだページがあるっていうことに感動しました。
――子ども時代に好きだったマンガを教えてください。
藤田 『仮面ライダー』(石ノ森章太郎)や『デビルマン』(永井豪)といった時代時代のマンガは一応読んでいましたけど、好んで読んでいたものといえば、弓月光先生とかの少女マンガです。男友だちにも少女マンガを読むやつがいて、僕はいつも友だちの家で『キャンディ・キャンディ』(水木杏子、いがらしゆみこ)を読むのを楽しみにしていました。ただ小学生くらいの頃は、マンガより小説を読むことのほうが多くて、マンガは読むといってもわりと一般的な楽しみ方をしていた気がします。マンガを熱烈に読むようになったのは、中学生、高校生になってから。高橋留美子先生や小山ゆう先生、細野不二彦先生、石川賢先生といった、次の世代の方々の作品に出会って夢中になりました。
――中高生以降、特に好きだったマンガ家さんというと?
藤田 やっぱり高橋留美子先生です。それから高橋葉介先生。高橋葉介先生は怪奇短編の名手で、「こういうのが描けたらいいな」と思っていました。
――その頃はもう“描きたい”だったんですね。
藤田 「描けたら最高だな」と思っていただけで、「描きたいな」ではなかったと思います。もし描いてみて誰かに才能がないといわれたら怖いから、勝負に出るのを避けていましたね。実際に描くようになったのは大学に入ってからで、それもプロになろうというのではなく、サークルでちょっと描いてみようっていうだけでした。
――「描けたらいいな」が「描いてみよう」に変わったのはなぜですか?
藤田 大学時代は漫研やアニメーション研究会に入っていたんですが、同時に推理SF研究会にも入っていて。そうすると一応小説を書くじゃないですか。僕はなまじマンガも好きで絵も描いていましたから、自分で自分の小説に挿絵を付けたんです。それで「この場面は1枚の挿絵では動きが足りないから2枚描こう」とか、「この場面は文章よりも絵で表現したほうがわかりやすいんじゃないかな」なんてやっているうちに、「あれ? これならマンガを描くほうが早いぞ」と(笑)。
本を好きな場合って、成長するにつれて絵が好きか物語が好きかに分かれていきますよね。僕は絵も好きでしたけど、物語のほうがより惹かれることが多かったので、「この話を絵で描きたい」というよりは、「この話を書くために、マンガという表現方法を使おう」という感じだったと思います。だからなのか、いまも30ページ、40ページの読切作品を描くとき、1コマ目は頭に浮かんだ文章を書き入れるところから始めるんです。
――いわゆるナレーションですか?
藤田 そうです。作品のムードを出す文章ですね。それで自分を酔わせるんです。たとえば「闇が深かった」と書いたら、「そうか、闇が深いのか。それで?」と。当然、悪いやつを退治するといった話の大枠はあるんですけど、最初に思いついた文章をまず書いて、「これはすごい作品になるぞ!」と、自分の気持ちをその作品に強引に向かわせます。まあ、たいていそれは誤解ですけど(笑)。
自分の感情を動かしたものは、すべてが宝
――マンガを描き始めた当初はプロを目指したわけではないということですが、プロになりたいと思われたきっかけは?
藤田 僕は昔から怪異を描いた話に興味があったんですが、中国の古い昔話とかを読んでいると、人間があまりに弱くて、妖怪の行列を見ただけで翌日死んでしまうような話が多かったんです。ラフカディオ・ハーンの『怪談』に入っている「ろくろ首」は、元侍の強いお坊さんが妖怪と闘って勝つ話で、大のお気に入りだったんですが、あるとき『少年サンデー』の増刊に載っていた高橋留美子先生の「闇をかけるまなざし」という短編に出会いまして。怪異と戦って人間が勝つ、しかもその人間は特別な力を持っていない素人さんという話で、僕は「マンガっていうのはこういう話を描いてもいいんだ」と衝撃を受けたんです。それで「よし、自分も本気でマンガを描いてみよう」と思ったんですが…それはもう難しい難しい(笑)。
――サークルで描いて楽しんでいたときとは違いましたか。
藤田 まったく違いました。ただ、自分が描きたいと思うものをマンガの形式に落とし込んでいくためには修行が必要でしたが、物語を創作するエネルギー自体は、その頃にはかなり蓄えられていたと思います。僕はマンガ家になって26年になりますけど、描きたいものがなくて困った経験は一度もないんですよ。それは本を読んできたからだと思います。今回はタニス・リーのファンタジーをヒントにしてみようとか、次は横溝正史かなとか、描きたいものはいつでもたくさんあるんです。
――読書経験がそのまま創作の糧になっているんですね。
藤田 これはよくアシスタントにいうことなんですが、感動したものやかっこいいなと思ったもの、笑ったこと、そういう自分の感情を動かしたものは、すべてが宝なんです。その宝を掘り返すことで、今度はそれが財産になるんですよ。映画でも本でも、誰だって好きなものはありますよね。だったら、自分はそれのどこが好きなんだろう、何に惹かれるんだろうと自問自答すれば、おのずと描きたいものは見えてくるんです。若い人はよく「もっとまんがを勉強しないと」「もっと研究しないと」っていいますけど、足りないのは勉強や研究じゃなく、自分の中に蓄積された宝のほじくり方なんですよ。そして、その気づいたことを言葉で説明できれば、それはもうマンガでも描けるんです。
――デビュー前とデビュー後では、一読者としてマンガとのつきあい方や距離感に変化はありましたか?
藤田 それは変わりました。マンガ家になりたいと思った時点で、目指す先にはたくさんのマンガが存在するじゃないですか。そういう世界に入るにあたって、自分は絵さえも拙いのに、すでにあるような話を引っさげていくわけにはいかないですよね。そういうときに編集者さんから、「マンガじゃなくて文字の本を読め」といわれたんです。で、僕はもともと本が好きで読んでましたけど、それをマンガに落とし込む方法がわからなかった。そしたら今度は、「おまえの読んできた本をマンガに落とし込むためのキーは、人の心が変わること。そこに感動があるっていうことだぞ」といわれまして。マンガってよくドラマがある、ドラマがないっていいますけど、ドラマがあるっていうのは、つまり感動があるっていうことなんですよね。それで感動というのは、人の心が変わるときに生まれるものなんです。それを言葉で教えられたことはとてもありがたかったですし、それ以来、マンガだけでなく小説でも映画でも、物語のとらえ方がはっきりと変わりました。話のつくり方、構造を注視するようになりました。
――いまとなっては純粋に物語を楽しむのは難しいですか。
藤田 それが人間というのは結局感情の生き物なので、ひとたびキャラクターに感情移入すると、構造なんて関係なく物語に巻き込まれてしまうんですよ(笑)。一読者として楽しんでしまう作品っていうのは、やっぱり存在します。登場人物が生きていて、読者を作品の世界に自然に巻き込んでいくんです。そういう嵐のような作者が、本当に一流の小説家、マンガ家なんだと思います。
作家性が強い人たちの作品には憧れます
――成人してから出会ったもので、「これは巻き込まれた!」と思う作品を教えてください。
藤田 二十歳を過ぎてというと、真っ先に出てくるのは隆慶一郎先生です。隆慶一郎先生は山田風太郎先生と並ぶ時代劇の名手の一人ですが、少年マンガを描きたい人間は絶対に触れないといけない人だと思いますし、隆先生の作品に心が震えないなら、少年誌なんて目指すのはやめたほうがいい。そのくらい、かっこいい男を書かれます。男はね、説教されたいんです。本当にどっしりとした高倉健さんみたいな人が「男ってのはなあ」といってくれるのを待っているんですよ。我慢一つできずに自分の権利ばかり主張しているようじゃダメでしょう。信念を持って生きる男、手本となる男の生き様を、時代小説は教えてくれると思います。人によっては司馬遼太郎先生だったりするんでしょうけど、僕は隆慶一郎先生が好きですね。
――心の師匠という感じですか。
藤田 そうですね。「エンターテインメントというのは、このくらいやらないと人を楽しませたことにはならないからな」といわれた気がします。それから時代ものというのは、現代と地続きの世界であっても、「見てない」という点ではファンタジー小説に近いんですね。それで歴史や思想に思いを馳せたりする中、はしかのようにかかるのがSFだと思います。現代情勢から離れているぶん、とっつきやすいのかもしれません。で、僕がはしかにかかって出会ったのが田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』です。いっぱしに「民主主義っていうのは」なんていいたくなりました(笑)。ほかにも浅田次郎先生の『天切り松 闇がたり』シリーズは本当に好きで泣きましたし、奥田英朗先生の『精神科医 伊良部』シリーズもおもしろかったですし。基本的に、僕は巻き込まれやすいんですよ(笑)。
――マンガではいかがですか?
藤田 木原敏江先生の『夢の碑』というシリーズがありまして、「この世界観いいでしょう」と読み手に向かって押してくる感じがすごいなと思いました。このくらい押し出さないとダメなのか、と。木原先生の世代は萩尾望都先生や竹宮惠子先生もいて、少女マンガの歴史の中でも特別な世代なんですよね。ああいうすごく頭がよくて作家性が強い人たちの作品には憧れます。少年マンガは、アクションがうまい作品に惹かれますね。こんな動きが描けたらいいなって思います。でも、マンガはそれこそ水のように飲んでいますから、タイトルを挙げるのが難しいです(笑)。吸収しようとしては巻き込まれ、を繰り返しているはずなんですけど…。
吸収といえば、そのとき自分が描いているマンガによって手を出す本というのもありますね。『うしおととら』なら妖怪や怪異の小説を読みましたし、『からくりサーカス』ならサーカスや錬金術。あのときは小説よりも資料のほうが多かったかもしれませんけど、自動人形に関する伝説が書かれた本を集めたりもしました。
――『月光条例』では改めて御伽噺を集めたりされたのでしょうか。
藤田 はい。『月光条例』は昔から好きなものをいっぱい集めたので楽しかったです。
――藤田先生の書棚はバラエティに富んだ本が並んでいるのでしょうね。
藤田 長い間本を読んでくると、ジャンルやら何やらが散らかりますよね。それでも僕は狭いほうだと思いますけど。僕の場合、本を選ぶときの基準は常にワクワクするかどうかなので、エンターテインメント話ばかり読んでいて、名作といわれるような作品でも落っことしてきているものはたくさんあると思います。それはちょっとコンプレックスかもしれません。どんなものにも対応できてこそ、本読みといえるんじゃないかな。
――とはいえ、ご自身の作品に関連する本を探すことで新しいジャンルの開拓にもなっているのでは?
藤田 いいマンガを描くために資料を集めて読むのは、読書とは違います。やっぱり自分の中で何かが気になったとか、友だちに聞いておもしろそうだなと思った本を買ってみるとかじゃないと。その点、僕は昔と比べて時間がなくなったことで、ずるい読書のやり方をしてるかなと思います。
――「ずるい」ですか?
藤田 信頼できる人からすすめられた本ばかり読むようになったので(笑)。家族やアシスタントが僕のアンテナなんです。みんなには、「行ってよかったところや読んで楽しかったもの、何か感じたことは全部教えてくれ」といっているんです。自分一人では世の中のおもしろいことをたくさん感じられないですからね。それにマンガ業界に身を置いているので、『進撃の巨人』(諫山創)だとか『ちはやふる』(末次由紀)だとか、おもしろいマンガはどこかしらから風聞が届くんですよ。そういう作品はまず間違いないので、噂を待とうかなっていうのもあります(笑)。
――確かに、それはおもしろい作品を知る確実な方法ですね(笑)。
藤田 ただし、どんなにおもしろい作品に出会っても、マンガ家である限りマンガから影響を受けるのはナシです。これはアシスタントにもいいますが、マンガ家として成功したいなら、マンガやアニメばかり見ていても仕方ないんです。だって、それはすでにあるものなんですから。既存の作品からヘタに影響を受けたりしたら、マンガファンは正義感が強いので、鬼の首をとったように「いけない」と騒ぎますし、お隣さんから簡単に影響を受けているようじゃ、オリジナリティは出せません。僕だってもちろん大好きなマンガ家さんはたくさんいます。でもそれは、心の元気を出すために読むものなんですよ。「あの人はすごいな、こんな感動を与えられるのか」と思ったら、「よし、僕は僕でがんばるぞ」となるんです。
本は人生の選択肢を増やしてくれます
――近年、心の元気をもらったマンガにはどんな作品がありますか?
藤田 日本橋ヨヲコ先生の『少女ファイト』はそうですね。あの人は「うまいなー」と思います。曽田正人先生の作品も素晴らしいと思います。『Capeta』も『MOON -昴 ソリチュードスタンディング-』も、画面を見ただけで作家性を感じるといいますか。全身に熱を叩きつけられるような気がします。いしいひさいち先生の4コマは、「こんなやり方があるのか」と思うことが多くてとってもおもしろいですね。諸星大二郎先生や高橋葉介先生の作品は、読めば変わらず震えがきます。コマの切れ味がすごくて、まったく古くないんです。
――高橋葉介先生は昔からお好きだったと仰いましたが、日本橋ヨヲコ先生などは先ほどのお話の通りアンテナをめぐらして出会ったのでしょうか。
藤田 日本橋さんとの出会いにはちょっとしたエピソードがあるんですよ(笑)。僕はラクをして物語を考えるのが嫌いなので、調べる必要もなく描ける“マンガ家マンガ”というのが好きじゃないんですが、以前友だちの島本和彦さんと一緒にサイン会をやったときに、日本橋さんがいらっしゃいまして。そのときはあまり日本橋さんのことを知らなかったんですが、島本さんがマンガ家マンガを描いてるので、「僕、好きじゃないんだよね~」なんていっていたんです。そしたら当時日本橋さんも『G戦場ヘヴンズドア』というマンガ家マンガを描いていて、僕が読んだこともないくせに「好きじゃない」といったら、「私のはおもしろいと思います」ってコミックスを送ってきてくださったんです。
――日本橋先生自ら。
藤田 そうです。それが読んだらおもしろかったんですよね(笑)。もう、これは申し訳ないと。そこから日本橋さんの作品を読むようになりました。日本橋さんのマンガは、読者を煽るんです。最近の風潮として、マンガもわりと「あなたのままでいいですよ」「あなたらしく生きればいいですよ」なんて、なんでも肯定してくれる作品が多いじゃないですか。だけど日本橋さんのマンガは、「そのままでいいわけないだろう」と煽ってくれるんです。僕はそれが聞きたいんですよ。曽田先生も同じで、「いまできないことがなんで悔しくないの?」っていわれている気がするんです。一般の読者の方にも、そうやってケツを蹴られたいと思っている人はけっこういるんじゃないかと思うんですけどね。
僕は、自分よりも先輩の作品を読むときは小説を読む感覚に近くて、「うまいな、こんなことができるんだな」と思いながら楽しむんです。で、同世代のマンガ家さんで好きだなと思う人には、背中を押してもらう感じ。「君もがんばってるんだな。よし、僕も負けないぞ」となるんです。
――では、ご自身より下の世代ならいかがですか?
藤田 下の世代は、真っ当なことをいえる人間は怖いなと思います。世の中の不条理に不条理だといえる人や、残酷な描写をするときに、憤らせながら登場人物自身に「残酷だ」いわせられる人。そういう常識をわきまえたマンガを描く人間が一番怖いです。なぜなら、最初はだいたいの人が「目立ちたい」という気持ちでマンガを描くじゃないですか。ということは、誰もがやらないことをやるのは当然なんです。当然なんですけど、「常識から外れていることはわかっているけどね」という前置きのようなものがないと、インモラルがいきつくところまでいってしまう。何かで突出すること自体は簡単ですが、それを作品の中できちんとまとめ上げることが難しいんです。やりたいことだけをやっていたら物語にはなりませんから。そういう突出した部分を閉じ込めるパワーというのは、人の善性や常識にこそあるんです。不良が不良のまま人を殺しました、なんて物語でもなんでもないですもん。これはいけないんだっていう事実に気付いて、人が変わることがドラマになるんです。
――先ほどの物語づくりのお話ですね。
藤田 そうです。実際のところ、そういう話が描ける若者もいっぱいいるとは思います。長年やってきている僕らのような人間をヘコませるのは、いつだって若者なんです。若者の斬新な発想と、翻って、ちゃんとした良識。それに「これはお客さんに見せるものだ」という基本ラインを外さないプロ意識。そういうものを持った人間が一番怖いです。
――キャリアを詰まれた方ならではのご意見でとても興味深いです。さて、この企画ではゲストの方に「○○なときに読みたい本」を教えていただいているのですが、藤田先生はどのようなテーマでご紹介いただけますでしょうか。
藤田 気持ちがふさぎ込んだときに読んで必ず効くマンガ、吉田聡先生の『スローニン』ですね。吉田先生は『湘南爆走族』も素晴らしいですけど、これは全4巻なのですぐに読めると思います。ギャグが楽しくて、出てくるやつらも気持ちがいい。人生における幸せを笑いの中で教えてくれながら、男の生き様もしっかり描いているという、完璧な作品です。とにかく楽しいので、ぜひ読んでもらいたいなと思います。
――ご自身と同年代の男性におすすめしたい本はありますか?
藤田 小説なら浅田次郎先生の『天切り松 闇がたり』シリーズや、隆慶一郎先生の『吉原御免状』。マンガは曽田先生の『め組の大吾』でしょうか。仕事に誇りを持っている人間のかっこよさが描かれています。「仕事に誇りを持っている人間なんているのか?」というのは、現代の命題の一つだと思うんですよ。みんな辛い中で働いている。そこで「いる」という答えが欲しいんです。『め組の大吾』は消防士さんの話で、マンガではあるんですが、読めば「世の中まんざら捨てたものじゃない」と思えるはずです。
――では少年マンガ家として、子どもたちに読んでもらいたいマンガは?
藤田 僕のデビュー当時からの友だちに、村枝賢一と河合克敏というマンガ家がいまして。二人とも真面目で、マンガに対してもすごく真摯なんですが、彼らが描いた『光路郎』(村枝賢一)と『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(河合克敏)は子どもたちにすすめたいですね。きっと学校が楽しくなります。僕が描いてきたものって、「ほーら、こっちだよ」という感じで読者の気を紛らわすタイプのマンガばかりだと思うんですよね。全部ファンタジーですし。だけど、『光路郎』や『とめはねっ!』は面と向かって学校を描いて、「自分の気心次第で、毎日がこんなに楽しくなるかもしれないよ」と教えてくれるんですよ。自分が陰惨な話ばかり描いてきたので、彼らのこういう作品はある種の憧れでもあります。
――貴重なお話をありがとうございます。最後に、藤田先生が思う“読書の魅力”を聞かせてください。
藤田 本というのは、それがフィクションでも、人の心を広げて人生の選択肢を増やしてくれるんです。たとえば学校で毎日毎日嫌いな勉強をしている子が、旅行記を読んで駅を通ったとします。すると、それまでただの風景だった駅が、自分が行ったこともない世界に繋がっている“門”に見えてくるかもしれません。物語の主人公といまの自分を置き換えてみたら、意外な反撃の方法や、新しい逃げ道も見つかるかもしれないし、「私はいま世界で一番辛い状況だわ」と思っていたのが、エッセイを読んで、「瀬戸内寂聴さんに比べれば!」と思うかもしれない。紙に書かれた文字を読むだけで、人生の見方がまったく変わるんですよね。そんな体験が簡単にできるんですから、本は絶対に読んだほうがいいです!
天切り松 闇がたり 第一巻 闇の花道
作者:浅田次郎 出版社:集英社
天切り松 闇がたり 第一巻 闇の花道

夜更けの留置場に現れた、その不思議な老人は六尺四方にしか聞こえないという夜盗の声音(こわね)「闇がたり」で、遥かな昔を物語り始めた――。時は大正ロマン華やかなりし頃、帝都に名を馳せた義賊「目細の安吉」一家。盗られて困らぬ天下のお宝だけを狙い、貧しい人々には救いの手をさしのべる。義理と人情に命を賭けた、粋でいなせな怪盗たちの胸のすく大活躍を描く傑作悪漢小説(ピカレスクロマン)シリーズ第一弾。

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め組の大吾
作者:曽田正人 出版社:小学館
め組の大吾

朝比奈大吾は、子供の頃、火事の現場から自分を助けてくれた消防士に憧れて、自分も消防士になる道を選んだ青年。消防学校での研修を終え、中央消防署・めだかケ浜出張所に配属された。憧れの消防士になれた大吾は、大張り切りで出張所に行くが、所長の五味をはじめ同僚の先輩たちはなんとものんびりしていて、気が抜けてしまい…。若き熱血消防官・朝比奈大吾の活躍と成長を熱く描いた、スーパー消防官アクション!!

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藤田和日郎BOOK GUIDE

読者の心を奮い立たせる熱い藤田節や、興奮と緊張、感動が詰まった
藤田作品の中から、新旧の傑作をご紹介!
うしおととら
著者:藤田和日郎 出版社:小学館
うしおととら

少年&大妖怪コンビが贈る伝記アクション
寺の息子で正義感の強い中学生・うしお。1本の槍に体を縫いとめられた妖怪を見つけたうしおは、槍を引き抜き、自分があらゆる妖怪を滅ぼすというその槍――『獣の槍』の継承者であることを知る。解き放った妖怪に“とら”と名づけたうしおは、雷と炎を操るとらと共に、襲い来る妖怪たちと戦うのだった。種族も性格も違う“うしとら”コンビの冒険を通して、勇気と絆と宿命を描き出す、いわずと知れた大ヒット作。

【一口メモ】
1989年に第2回少年サンデーコミックグランプリに入賞し、翌年から6年にわたり連載された。第37回小学館漫画賞、1997年星雲賞コミック部門賞を受賞したほか、文化庁メディア芸術祭の10周年を記念して行われた<日本のメディア芸術100選 マンガ部門>にも選出。


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月光条例
著者:藤田和日郎 出版社:小学館
月光条例

藤田流、おとぎばなしバトル!
地上を青い月が照らすとき、おとぎばなしの世界にねじれが生じる――。ケンカの強い不良少年の月光は、<読み手>の世界へやってきた鉢かづき姫によって、歪んでしまったおとぎばなしの世界を正す『月光条例』の執行者に選ばれる。鉢かづき姫に導かれ、凶暴化したおとぎばなしの住人たちと戦うことになった月光だが…!? 有名、無名を問わず様々な童話をモチーフにしたバトルファンタジー。作者渾身の最新作。

【一口メモ】
しばしの間活動の場を青年誌に移していた作者が小学館『週刊少年サンデー』に復帰し、2008年17号から2014年19号まで連載された。コミックスは全29巻となる。

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藤田和日郎先生からのメッセージ

僕は最近長いマンガを終わらせたんですけど、長い連載を描けたのも、人生でおもしろいものを見つけて選択肢が増えたのも、どちらも本を読んできたおかげです。身近な先輩に聞いたりテレビで知った話なんて、所詮は狭い範囲のことです。本は自分の世界をもっとずっと広げてくれますから、これを機会にぜひ本を読んでみてください。ついでに、『月光条例』も読んでもらえるとうれしいです(笑)。


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