作品内容
昭和36年、日本製のバイクが世界の度胆を抜いた。オートバイのオリンピック「マン島TTレース」で、ホンダのマシンが1位から5位を独占した。日本初の快挙の裏には「友の夢を果たす」という男達の誓いがあった。
昭和29年、本田技研工業は経営危機に陥っていた。不況と相次ぐマシントラブルへのクレーム。ある日、本田宗一郎はみかん箱の上に立つと従業員の前で宣言した。「オートバイ最高峰のレースを制覇し、日本の若者に希望を与える」
レース用のマシンの開発は、河島喜好ら若き技術者に託された。斬新なアイデアを盛り込み試作したエンジンは、思うように動かず、馬力ゼロだった。「日本人が勝てるわけがない」屈辱をバネに出場した前哨戦、惨敗だった。
ライダーは社内から公募した。限界までコーナーを攻め続けた秋山邦彦。海外から、マン島レースの実況を録音したレコードを取り寄せ、手探りでレースの戦略を練った。開発現場に足繁く通い、設計に注文をつけた。
開発から5年、マン島へ飛び立つ直前、悲劇が襲った。映画の撮影に協力するため箱根を走っていた秋山が、トラックと正面衝突。帰らぬ人となった。河島たちメンバーは、秋山の遺髪をマン島全景が見渡せる小高い丘に埋め、優勝を誓った。
しかし、結果は最高6位。ヨーロッパ車との性能の差は歴然だった。それから2年、技術者達はマシンの開発に全てを賭けた。
そして昭和36年6月12日、秋山の志を胸に運命のスタートラインに立った。
+ 続きを読む